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  • あしゅラ事務局長

昨年9月~今年1月の工楽家旧宅や高砂工楽会のイベントや活動(まとめて報告)③

更新日:2021年1月31日

「高砂町歴史展」を工楽家旧宅2階の洋間でも開催しました 11月17日~1月31日

高砂市立図書館とほぼ同じ展示物ですが、1部展示物を追加しています

追加分だけ、コメント入れますね



玄関

入口に北前船の模型 実物20分の1

2階へ

洋間の入り口に、工楽松右衛門の凧 ガイド倶楽部唐津さんの作品


高砂生まれの天竺徳兵衛は、江戸時代からずーと歌舞伎の演目に取り上げられています

昨年は、歌舞伎役者の中村芝翫さんが天竺徳兵衛を演じました。(天竺徳兵衛異国噺)


三浦迂斎(うさい) 

  製塩と北前船で塩の廻船業を営む豪商 文人としても評価が高い 1703~1767年 64才

  人間は生業を大切にすべきと説く『民家生要記』、謡曲高砂の注釈書『高砂増々抄』、

  平賀源内らとの交流を描く旅行記『東海済勝記』  墓は十輪寺

菅野白華(はっか)

勤王の学者 申義堂の教授 高砂町今津町生まれ 1820~1870年 51才

  姫路藩学問所「明倫館」で19才で学長 昌平坂学問所で学び、主席を争う秀才

  儒学・医学・兵学・易学・蘭学等に精通 渡辺崋山と交わり、尊王攘夷運動へ

  国防のため蝦夷地探検に出かけ、水戸勤王派と連繋をとったため「安政の大獄」で

  捕えられ、拷問を受け、歯をすべて抜かれる 5年後、赦免されたが、家屋は荒廃し、

  蔵書は散乱し、赤貧洗うがごとしの生活になる

  兵庫県の司教を務め、兵庫県初代知事の伊藤博文から信頼も厚く、尊敬されていた

  明治2年、朝廷から外務省役人に命じられ、高砂から病気をおして上京、

  兵庫津の喜多仁平(北風家、松右衛門帆布の販売)宅で療養中、不帰の客となる

  一文字(工楽松右衛門が造った堤防)に砲台を築く 十輪寺に墓

小林梧陽(ごよう) 1810~1865年 56才

  幕末の儒学者 申義堂末期の教授 通称は網屋利右衛門 高砂町南本町生まれ

  農商を営む 頼山陽、河野鉄兜と親交が深い 慎み深い郷土の士、教育者 十輪寺に墓

  「千戸の家を興すように郷土を繁栄させ、詩書や美しい風習を残すように」

  申義堂の最後の教授は、美濃部秀芳(憲法学者、美濃部達吉の父 2代高砂町長)


江戸時代、高砂町が、天竺徳兵衛、工楽松右衛門をはじめ、多くの「人物」を輩出したのには、驚きです   みんな、博識であり、郷土の士ですね



私が大好きな言葉です 私心を捨て、公、人のために生きるの意味

今は、金儲けと変なプライドばかりの世の中 ほんとうんざりします



江戸時代の家の見取り図


松右衛門が、港をつくるときに使った工作船






高砂町は、1000年続く祭りの町です

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